技術的進歩がアパレル業界に影響の可能性

国際労働機関(ILO)の雇用スペシャリストは、生産を輸出市場と国内市場に集中すべきであると指摘しています。

今日の世界において、テクノロジーとその発展の実用性は非常に高まっています。
そのような発展の一例として、たくさんの人間の仕事を遂行できるロボットがあります。
ロボットは、現在は人間の労働者に取って代わる存在となっているのです。

最近の3Dプリントやレーザー技術などの技術発展により、バングラデシュや中国、カンボジア、インドネシアなどの国から衣料品を大量注文する代わりに、発展途上国の企業は現地で生産拠点を簡単に置くことできるようになりました。

「このプロセスは、まだ始まったばかりです。」と
ILOの東・東南アジア・太平洋地域のディーセントワーク(働きがいのある仕事)テクニカルサポートチームの雇用スペシャリストであるフ・フィン氏は語ります。

仮に、このプロセスが軌道に乗って成長して拡大できるならば、衣料品生産や労働集約部門を自動的に米国やEU地域に戻すことができます。

The Daily Star社のインタビュー時のフィン氏のコメントは、先週バンコクでのワークショップに合わせて発表されました。

「自動的に戻るとは、どういう意味でしょうか。」
 「つまり、私たちの生産方針を輸出市場のみに集中するのか、国内の消費者市場のみ集中するかについて考える必要があるということです。」

技術進歩によって起こる潜在経済危機に、バングラデシュの経済が大きく依存している衣料品産業について考えながら、経済構造のバランスを一定に保っていくことを考えなければならないとフィン氏は述べている。

同氏は、ドイツのスポーツウェアの大手企業アディダスを、技術の早期立案者として賞賛しました。

今年3月にロイター社が発表した報告書により、同社は、最新鋭の機械を使用し、買い物客たちがセーターのデザインを行って身体測定でフィット感を測定し、完成品を数時間以内に受け取れる店舗をテスト運営していることが発表されました。

「こういったことは、一朝一夕で成し遂げられるものではなく、進行途中で完成までにかなりの時間がかかります。」
しかし、バングラデシュのように労働力の豊富な国々が、生産方式の最終移行に備えて準備を始めたことを同氏は強調しています。

労働者に取って代わるロボットはすでに存在していますが、大量の導入については、コストと性能の2つの要素に深く関わってきます。

時間と共に、ロボットの製造コストが下がり賃金が上がり、人間よりもロボットの費用対効果が向上します。性能も同様に向上するので、製造業者にとって導入しやすくなります。

「バングラデシュやカンボジア、ベトナムといったアジア諸国における衣料品産業が、そういったロボットの影響を受けるのは、もはや時間の問題であると考えています。」

そして、バングラデシュ政府はこの件に関して重要な役目を務めています。

「バングラデシュ政府は、経済全体の方向性について真剣に考え、雇用の見通しのある分野についても注視していく必要があります。」

同氏は、バングラデシュの次に、医療と観光分野に注力しているタイ王国を例としてあげました。

ロボットは、同じ方法で幾度となく繰り返される仕事において、人の代わりに働くことができるのです。

「チームで働く能力やコミュニケーション能力や説得力、他者に感情的な共感を示す能力など、他者の社会的、感情的側面に触れることのできる人間独自の能力は、ロボットが取って代わることのできないものです。」

技術面における貧困と不平等の影響に関する質問に対して、同氏は労働市場においては不平等さが拡大している可能性があると述べました。

「技術進歩を見ますと、技術力のある人々が利益を得ることはよくあります。上質な技術力に対する当然の報酬です。その一方で、技術力のない人々が遅れを取っていることが、我々の懸念事項なのです。」

そして、同氏は政策立案者に対して、技術の移り変わりによって、大勢が置き去りにならないように対策をするように主張しました。

しかし、インドやバングラデシュといった遠隔地に住む多くの人々が、今や先進国の企業のためにインターネットを通じて働けるようになったことから、同氏は、技術進歩がまた新たな可能性を切り開いていると述べました。

「ヨーロッパのとある会社が、誰かにプログラムを書くことを依頼すれば、バングラデシュに住むプログラマーがそれに応募して担当することも可能性なのです。こういったことからも、新たな可能性が見えてきました。」

インターネットやスマートフォンのような最新技術へのアクセスに関する問題に対して、同氏は、「そういった技術は最も不可欠な基盤で、国レベルで取り組まれる必要があります。
また、政府の介入も重要になってきます。」
「ILOにとって最も大きな問題は、このプロセスが正当か確認したいということです。我々は、人々が置き去りになることを望んでいません。また、技術進歩を止めるべきだと言っているわけでもありません。テクノロジーは非常にポジティブな傾向だと思っています。」と述べました。

マイクロソフトやグーグルなどの企業から、新しいイノベーションに関するニュースを聞く事を楽しみにしながら、それらが社会に与える影響力について考える必要もあります。

テクノロジーはここから進歩するだけですが、それが不均等な数の仕事に影響しないことを保証するのは重要なことです。

また、長い目でみると、多くの雇用が創出され変容します。今は存在しない仕事がたくさん出てくることでしょう。

社会より公平な状態に変えるために、新たな雇用の労働市場を準備することが最も重要であると同氏は述べました。

ベトナムの衣料品、繊維の輸出総額が300億ドル超の可能性

ベトナム繊維・アパレル協会(VITAS)によると、今年までこの分野に20億ドル相当の投資がされた場合、ベトナムの衣料品と繊維の2017年の輸出売上高は、目標である300億ドルを超える可能性があると指摘しています。

今年最初の7か月間の売上高は、170億ドルでした。しかし、新たな課題も発生しています。

ベトナムの英語オンラインの新聞によると、今年は3年前に見られたこの分野への大規模な新規直接投資(FDI)計画はありませんが、海外の投資家たちは、既存の事業が拡大していると指摘しています。

産業貿易省は、輸出市場において、ベトナム製品に対する貿易救済措置の数が増えていると警告しています。例えば、インドがエラストマー糸に対して、35—45%の税金を課しています。

韓国の企業ロング・タイ・トゥ・ヤーン社は、ドンナイ州ロング・カーン工業地帯の工場を拡大するために5000万ドルを投資する予定ですが、ロン・アン州のタン・ドゥク工業地帯に染色・織物工場を持つ、ブルネイ王国の企業トリリオン・エンタープライズ社も、生産拡大を図るために5ヘクタール以上の土地を探しています。

極東の台湾では、追加投資資本として4億8580万ドルを登録し、2年間の運用後バウ・バン工業地帯へ総投資額は7億6000万ドルまで上昇しました。

投資を強化してきたベトナム企業の中で、バオ・ミン・テキスタイルは、2018年3月までに稼働する可能性の高いナム・ディンの衣料製造機に7500万ドルを投資している。

VITAS会長のヴュ・ドゥク・ジャン氏によると、企業たちはもはや無税を期待はできないが、ベトナムは依然として世界的な衣料品輸出大国である。

VITASはTPPのほかにも、ベトナムの繊維衣服産業で、EUや韓国、日本などの他の自由貿易協定の利益を享受しています。現在、ベトナムはこの分野において、EU市場で3%のシェアを獲得しています。

TPP不参加の米国。衣類繊維、履物商社のベトナム市場への注目

米国の衣類や履物、繊維商社は、環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)から撤退した後、ベトナム市場への投資機会を模索しています。アメリカンアパレル&フットウェア協会(AAFA)のネイト・ハーマン副社長によると、ベトナムの高品質、価格帯、配送の強みは、アメリカの小売業者から注目を集めていると言われています。

ハーマン氏によると、ベトナムは優先的貿易協定を受けていないのにもかかわらず、米国の輸出拡大において、ライバルたちを圧倒したそうです。そして、TPPに参加せずとも、
上記の分野における米国への輸出は、今後も増加する可能性は高いようです。

同氏は、衣料品繊維と履物の輸入量が、過去12か月間で、それぞれ8.74%と11.83%と増加し、ベトナムは中国に次いで、米国市場で2番目に大きい輸出国となったと指摘しました。

ベトナムは2017年の最初の8か月間に、301.6億ドル相当の商品を米国へ輸出し、
米国輸入総額の1.99%を占めました。同時期に、税金として22億ドルを支払ったことで、米国に最も輸入税を納入している15カ国の中で、2位の座を獲得しました。

AAFAとベトナム米国商工会議所(AmCham Vietnam)は、ホーチミン市で昨年10月下旬に製品の安全性とコンプライアンス問題に関するワークショップを開催し、一連の活動を行いました。また、少し前に米国綿業協議会(CCI)が、ベトナム繊維・アパレル協会と協力して、2017年コットンデーを組織し、米国の綿を事業利用している12の会社に対して、投資許可を与えました。

しかしながら、一部の専門家は、ベトナムの米国への輸出は、貿易赤字を削減するために、米国が製品の安全性を厳しく取り締まることで、将来困難に直面する可能性があると指摘している

映像学科生のリボン絵に対する本気の情熱

彼女は、映像学科の修士号の取得に励みながら、ビーズで飾られた精巧なリボン絵の作成に、毎日数時間を費やしています。そして、完成品を街で開催される展示会への出品も始めました。

1日でリラックスできる時間は、リボン絵作成が完全に仕上がった場合の、就寝前の2時間しかありません。

全て手作業で、大きさや長さが違う多彩なリボンを木の葉の絵や静物画をイメージしながら刺繡しています。

リン氏(27歳)は、その修士号の取得で忙しいのにもかかわらず、長年培ってきた情熱をもって、未だに一日二時間をリボンの刺繡絵作成に充てています。

その刺繡絵に対する興味は、伝統的な手作業の刺繡絵のスペシャリストであった彼女の母親の存在が大きかったのです。

最初、彼女は、多彩な糸を用いた刺繡絵の技法から学びました。勉強を始めると、彼女は着々と成長し始め、海外の刺繡絵の本を読んだときに、刺繡絵作りは大変な興味深く、自らを奮い立たせるものであると実感しました。

新たな技術を学ぶために、通販サイトを通してロシア語や英語、ドイツ語の本の注文も始めました。

「ロシア語やドイツ語は理解できませんが、注文した本には写真がたくさん載っています。
」「私がリボンの刺繡絵を使いこなせるようになってからは、独自の方法で作品作りを始めました。」
とリン氏は語ります。

生き生きとした花々を表現するために、針を使って綿やビーズ、糸をリボンと組み合わせます。秋の果実や花々の場合は、瑞々さの要素として、リボンの中に綿を詰め込んで小さなイチゴを作り上げます。

「柔らかなリボンとその光沢のある色が、花を刺繡するのに最適なのです。私はお花が大好きです。風景や動物を刺繡しようとは思いましたが、花を刺繡するときが一番楽しいですね。その絵をみると、花が震えて、その香りが空中に漂っているように感じます。」

リン氏によると、リボンを刺繡する方法はたくさんあると言われ、例えば、バラのリボンを作る4つの基本的なテクニックがあります。基本を守る一方で、彼女は、常に創造的に考えながら刺繡に挑戦しています。

彼女は題材を海外から購入して、それをキャンバスや紙に刺繡します。
同じものを作ることは決してなく、作品ごとに、新たな発見や色調の適切さや刺繡技法の学びがあります。

最も小さい作品は40cm×50cmで、大きな作品は1.1m×1.9mもありました。
小さなものを完成させるのに、1日2時間の作業で、約1か月かかります。

作品が完成すると、天候の変動で傷まないように、ガラスフレームで保護します。
海外に送られる場合は、保護の必要ではありません。「ガラスが無ければ、作品がより生きているように感じます。」と彼女は語ります。

小さなリボン絵の販売業は、彼女と他の愛好家を結びつけるきっかけとなり、
ハノイ市で花屋を営むマイ・リー氏を含む、全ての常連客と友人関係を結ぶことができました。

Ly氏によると、今年の3月に、ベトナム女性博物館で開催された展示会に並んでいた、彼女の作品に魅了されたそうです。

「どの作品も、色鮮やかで生き生きとしていました。」「美しいリボンの花が、どれほど美しかったかを表現するのは難しいです。彼女の作品は独創的でした。本当に独創的でした。特に、私の店に飾ったものを眺めると、愉快で心地良い気持ちにしてくれます。世界教師デーの贈り物として、新鮮な花では、すぐに色褪せてしまいますので、私の先生のリボンの花刺繡絵をプレゼントしましたら、大変喜んでいただけました。」とLy氏は語ります。

リー氏にほかにも、実業家の方との出会いもありました。

それは、彼女が初めて作品を公開した際のことでした。張り切ってデビュー作である「春の花」を展示していました。その作品は非売品であり、展示するだけだと彼女は考えていました。

しかし、店員はそのことを知らず、彼女の作品に興味を持った男性に売ってしまいました。

ブースに戻ってきた彼女は、作品を永遠に失ったという喪失感からパニックになりました。
知恵を絞って、周りの参加者に彼について尋ねて回ると、幸運なことに、博物館の職員が彼の連絡先を知っていました。

「作品を返して欲しいと彼に連絡することは、大変恥ずかしく思いました。」
「私の最初の作品は誰にも売るつもりはなかったと説明しました、
私は、同じ作品を作らないので、全く同じではないが、似た作品をもう一つ作ることを約束しました。」

最終的に男性から合意を得て、二つ目の「春の花」が現在、男性のオフィスに飾られています。
彼女は、自閉症を患う20歳のいとこに刺繡絵を教えています。その女性は、腕を組んで座り込み、ほとんど誰とも話そうとしないので、縫い方を教えるのに、数か月がかかりました。

「刺繡絵を教えることで彼女を元気づけ、刺繡絵を作るときに喜んでいる姿を見せてくれることが、本当にうれしく思います。」

リン氏にとって、映画撮影法は単なるキャリアであって、彼女の喜びや生きがいとなっているのは刺繡絵作りなのです。

12月12日に、ハノイ市スエティン通り31番地のCofflower Coffee Shopで、二回目の展示会が開催されます。

刺繍とレースの村

ニンビン省ランソン村は、ベトナムでも屈指の刺繍絵で有名な村の1つです。ベトナムは
勿論、海外の消費者からも人気の商品です。

ランソン村は、ベトナム中で知らない者はいないほど有名で、現在は、ユネスコ世界遺産に指定されているチャン・アン複合景観の中に位置しています。約700年前に刺繍絵制作が始まり、当時は王室に献上し、寺院、仏塔、共同住宅の装飾に使用されていました。

1910年、まだフランスの植民地であった頃、ランソン村に住むディン・ゴック・ヘン氏とディン・ゴック・サン氏は、フランス人職人からレースの工芸技術を学んで、その技法を村に持ち帰りました。そして、それは村の第二の工芸品となり、転機をもたらしました。

地方職人のブゥ・タン・ラム氏は、「ランソン村の刺繡絵は、数世代に渡って伝承されています。歴史的な栄枯盛衰を経験しながら、この技術は保たれてきたのです。今日では世界中で知られるようになり、特にヨーロッパや北アジア地域で好評を集めています。」と語ります。

淡い多彩な糸を使用することで、熟練した地方職人は、洗練された美しい刺繡絵の傑作を作り上げています。

ディン・ティ・ラン氏は、先人たちが築き上げた刺繡技術の保護活動に取り組んでいます。
「私の家族3世代にわたって、この保護活動に取り組んできました。現在は、私の子供たちが担当しています。活動内容は、表面を滑らかにしながら色の調和を図りながら、シルクの刺繡絵を作るためのもので、古の網目模様や、派手で色彩豊かな糸の使い方などがあります。ジグザグの刺繡絵においても、正しい針の使い方を伝えています。」と同氏は語ります。

ラン氏が有名な刺繡技術者である一方で、ホン・イェン氏はレース模様の分野において注目を浴びています。彼女は、ファッションドレスやシャツ、カバン、靴に刺繡とレースを組み合わせたものを取り入れた人物です。

ランソン村の刺繡絵は、その高品質さとデザインの多様性を武器に、アメリカやドイツ、日本、フランスといった競争市場にニッチな市場を切り開きました。商品としては、刺繡を施すことによって上品に飾られたベッドカバーや枕カバー、カーテン、壁掛け、ハンカチ、着物などがあります。

ランソン村出身のディン・ティ・マイ氏は、ハノイ市ハンガイ通りに、彼女が制作した刺繡絵とレース作品の展示ルームを構えています。
「ベトナムの人々は、レース工芸をフランス人に学びましたが、その技術力とデザイン性は洗練され、独特かつ魅力的なものとなりました。多くの西洋のお客様が、サンプルよりも美しいと称賛してくださいますことを、我々は誇りに思っています。」

ランソン村は現在、9つの刺繡絵の企業と工房を構え、約700世帯の人々が刺繡絵の制作や販売で生計を立てています。その売上高は、一年間で400万ドル近くにものぼります。

他にも、ランソン村は、観光地や刺繡絵を案内するパッケージツアーを提供しています。毎年何百万人もの観光客を魅力する観光地である「タムコック-ビッチドン」の道に沿って、刺繡製品を販売する商店がたくさん並んでいます。観光客には、ベトナムの地方の景観やベトナム女性の美貌、花々が描かれた刺繍絵が特に人気があるようです。

とあるベトナム人の刺繍絵に対する思い入れ

作家のグエン・ファン・コング氏は、その生涯を古代の刺繍絵保存に捧げ、今日の刺繍絵の熟練職人として脚光を浴びています。 

グエン・ファン・コング氏(45歳)は、タインホア中部州ハウロック地区で誕生しました。彼はハノイ市のトンドゥックタン通りに、伝統的なベトナム建築の店舗を構えます。

「刺繍絵は、通常は女性によって作られるものですが、運命によって、この道に導かれました。」と語りました。彼は刺繍作家の間では名の通った存在で、その独特な作風は、柔らかく魅力的であると評されています。「子供の頃から、たくさんの母親や姉が、戦場や出稼ぎに向かう少年達のために、タオルやシャツに刺繍をする様子を見てきました。その姿に、私はとても感動しました。」と思い浮かべます。彼は、ハノイ工科大学で電気工学を専攻していましたが、刺繍絵に対する情熱は、美術を選考する友人たちに教えを請うほどまでに彼を動かしました。「自分の進むべき道が見え、伝統的な刺繍絵のみが、刺繍絵づくりに挑戦しようという情熱を与えてくれる源でした。」と同氏は語ります。

2008年に彼は制作に取り掛かり、最初の講師は、著名な作家であるグエン・カオ・ビン氏とタイ・バン・ボン氏でした。長い間制作に指先が固くなるほど没頭し、刺繍作家として大成した際に、同氏は悲しい事実に気が付きました。彼は、クアットドン(ハノイ市)、スアンネオ(ハイズオン市)、フンイェン(ニンビン市)そして、ミンラン(タイビン市)といった伝統的な刺繍村を、さらなら技術獲得のために訪れました。そこで彼は、多くの作家たちが刺繍絵づくりを辞めてしまったことを知りました。「多くの作家たちが情熱を失っていました。私は失望し、不安になりましたが、この伝統工芸をベトナム独自の美しさをもって復活させようと決心したのです。」

「ここ数年にわたって、多くの人々が輸入品の刺繡絵を好むようになりました。結果として、ベトナム伝統の刺繡絵の現状は芳しくありません。」

「いまだに、ベトナム刺繡絵は多くの人々から好まれているのですが、それらを保存するための知識や対策を我々は知らないのです。そういったことから、我々の祖先たちが築いてきた作品の魅力を呼び起こすため、私は伝統的なモチーフを利用しています。」とcon氏は語ります。

ベトナム刺繡絵の歴史は、封建時代まで遡ります。当時は、じゃが芋、藍色や多種の葉を染料として利用していましたので、色鮮やかな作品が生まれました。「長年にわたって一盛一衰を繰り返しましたが、最終的に大変な美的価値を有するに至りました。」と同氏は語ります。

生徒達に作り方を説明した後に、彼は、本当のベトナム刺繡絵の歴史と技術的特徴について解説しました。その結果、彼らはベトナムに対してより好意的になり、縫い目の一つ一つに対してこの親愛の意を込めるようになりました。これまでに、彼は約80名の技術者に対して高度な刺繡技法を伝えています。

しかし、「愛情や情熱だけでは、不十分です。」と同氏は語ります。

「厳格な基準に則った伝統技法に用いられる原料についての理解も深めるべきなのです。これは、特殊な糸が編み込まれている伝統的な絹織物に近いものを使用したものです。その糸を編み込む手法はプロの刺繡作家にとって非常に重要なものでした。」

「多くの初心者はこれを知らず、そして彼らの作品は粗雑なものとみなされるのです。特に、伝統技法に従う際は、上下左右、表裏に刺繡をする必要があります。ですから、もしあなたが伝統技法はシンプルであるとお思いなら、それは間違いです。」と同氏は語ります。

現在、コング氏はハノイ市や周辺の州のいくつかの村に10つの工房を構え、400人の従業員を雇用しています。また彼は、絵画の愛好家でもあるので、彼が作る作品のサンプルには、平和な人里、バンヤンの木、田舎の共同住宅といったベトナムの景観が常に見られます。

彼と生徒たちが作った幾千もの作品の多くは、海外の顧客によって購入され、主要なホテルや美術館の展示会や絵画の展覧会にて飾られて、ベトナム国やベトナム人のイメージ向上の手助けとなっています。

コング氏は、両面に刺繡が施されるモデルの復旧に力を注いでいます。

「これは吊り下げられるものではなく、展示されるべきものです。ですから、両面とも精密で柔らかな輪郭が見えます。白地の部分は薄く、裏側のシルクが浮き上がって見えます。

これこそが、ベトナム刺繡絵の真髄であり発展型なのです。ほかの国には、真似のできない独自の存在であります。」と同氏は語ります。刺繡絵を極めたものだけが、この様な作品を作ることができます。なぜなら、針のように細い逸脱の道と作品を壊しかねない非常識性が必要だからです。完成までに長い時間がかるからこそ、 それぞれ300~500万ドンから1億ドンと高い価値が付くのです。しかし同氏はお金がすべてではないと言っています。

「私は、殆ど失ってしまった刺繡作品の保存を手助けできることを願っています。さらに、いつの日か、学校で刺繡絵を学べるようになって、生徒たちの忍耐力の養成と子の祖先たちの偉業への理解が深まることを望んでいます。」同氏は語ります。