作家のグエン・ファン・コング氏は、その生涯を古代の刺繍絵保存に捧げ、今日の刺繍絵の熟練職人として脚光を浴びています。 

グエン・ファン・コング氏(45歳)は、タインホア中部州ハウロック地区で誕生しました。彼はハノイ市のトンドゥックタン通りに、伝統的なベトナム建築の店舗を構えます。

「刺繍絵は、通常は女性によって作られるものですが、運命によって、この道に導かれました。」と語りました。彼は刺繍作家の間では名の通った存在で、その独特な作風は、柔らかく魅力的であると評されています。「子供の頃から、たくさんの母親や姉が、戦場や出稼ぎに向かう少年達のために、タオルやシャツに刺繍をする様子を見てきました。その姿に、私はとても感動しました。」と思い浮かべます。彼は、ハノイ工科大学で電気工学を専攻していましたが、刺繍絵に対する情熱は、美術を選考する友人たちに教えを請うほどまでに彼を動かしました。「自分の進むべき道が見え、伝統的な刺繍絵のみが、刺繍絵づくりに挑戦しようという情熱を与えてくれる源でした。」と同氏は語ります。

2008年に彼は制作に取り掛かり、最初の講師は、著名な作家であるグエン・カオ・ビン氏とタイ・バン・ボン氏でした。長い間制作に指先が固くなるほど没頭し、刺繍作家として大成した際に、同氏は悲しい事実に気が付きました。彼は、クアットドン(ハノイ市)、スアンネオ(ハイズオン市)、フンイェン(ニンビン市)そして、ミンラン(タイビン市)といった伝統的な刺繍村を、さらなら技術獲得のために訪れました。そこで彼は、多くの作家たちが刺繍絵づくりを辞めてしまったことを知りました。「多くの作家たちが情熱を失っていました。私は失望し、不安になりましたが、この伝統工芸をベトナム独自の美しさをもって復活させようと決心したのです。」

「ここ数年にわたって、多くの人々が輸入品の刺繡絵を好むようになりました。結果として、ベトナム伝統の刺繡絵の現状は芳しくありません。」

「いまだに、ベトナム刺繡絵は多くの人々から好まれているのですが、それらを保存するための知識や対策を我々は知らないのです。そういったことから、我々の祖先たちが築いてきた作品の魅力を呼び起こすため、私は伝統的なモチーフを利用しています。」とcon氏は語ります。

ベトナム刺繡絵の歴史は、封建時代まで遡ります。当時は、じゃが芋、藍色や多種の葉を染料として利用していましたので、色鮮やかな作品が生まれました。「長年にわたって一盛一衰を繰り返しましたが、最終的に大変な美的価値を有するに至りました。」と同氏は語ります。

生徒達に作り方を説明した後に、彼は、本当のベトナム刺繡絵の歴史と技術的特徴について解説しました。その結果、彼らはベトナムに対してより好意的になり、縫い目の一つ一つに対してこの親愛の意を込めるようになりました。これまでに、彼は約80名の技術者に対して高度な刺繡技法を伝えています。

しかし、「愛情や情熱だけでは、不十分です。」と同氏は語ります。

「厳格な基準に則った伝統技法に用いられる原料についての理解も深めるべきなのです。これは、特殊な糸が編み込まれている伝統的な絹織物に近いものを使用したものです。その糸を編み込む手法はプロの刺繡作家にとって非常に重要なものでした。」

「多くの初心者はこれを知らず、そして彼らの作品は粗雑なものとみなされるのです。特に、伝統技法に従う際は、上下左右、表裏に刺繡をする必要があります。ですから、もしあなたが伝統技法はシンプルであるとお思いなら、それは間違いです。」と同氏は語ります。

現在、コング氏はハノイ市や周辺の州のいくつかの村に10つの工房を構え、400人の従業員を雇用しています。また彼は、絵画の愛好家でもあるので、彼が作る作品のサンプルには、平和な人里、バンヤンの木、田舎の共同住宅といったベトナムの景観が常に見られます。

彼と生徒たちが作った幾千もの作品の多くは、海外の顧客によって購入され、主要なホテルや美術館の展示会や絵画の展覧会にて飾られて、ベトナム国やベトナム人のイメージ向上の手助けとなっています。

コング氏は、両面に刺繡が施されるモデルの復旧に力を注いでいます。

「これは吊り下げられるものではなく、展示されるべきものです。ですから、両面とも精密で柔らかな輪郭が見えます。白地の部分は薄く、裏側のシルクが浮き上がって見えます。

これこそが、ベトナム刺繡絵の真髄であり発展型なのです。ほかの国には、真似のできない独自の存在であります。」と同氏は語ります。刺繡絵を極めたものだけが、この様な作品を作ることができます。なぜなら、針のように細い逸脱の道と作品を壊しかねない非常識性が必要だからです。完成までに長い時間がかるからこそ、 それぞれ300~500万ドンから1億ドンと高い価値が付くのです。しかし同氏はお金がすべてではないと言っています。

「私は、殆ど失ってしまった刺繡作品の保存を手助けできることを願っています。さらに、いつの日か、学校で刺繡絵を学べるようになって、生徒たちの忍耐力の養成と子の祖先たちの偉業への理解が深まることを望んでいます。」同氏は語ります。