彼女は、映像学科の修士号の取得に励みながら、ビーズで飾られた精巧なリボン絵の作成に、毎日数時間を費やしています。そして、完成品を街で開催される展示会への出品も始めました。 1日でリラックスできる時間は、リボン絵作成が完全に仕上がった場合の、就寝前の2時間しかありません。 全て手作業で、大きさや長さが違う多彩なリボンを木の葉の絵や静物画をイメージしながら刺繡しています。 リン氏(27歳)は、その修士号の取得で忙しいのにもかかわらず、長年培ってきた情熱をもって、未だに一日二時間をリボンの刺繡絵作成に充てています。 その刺繡絵に対する興味は、伝統的な手作業の刺繡絵のスペシャリストであった彼女の母親の存在が大きかったのです。 最初、彼女は、多彩な糸を用いた刺繡絵の技法から学びました。勉強を始めると、彼女は着々と成長し始め、海外の刺繡絵の本を読んだときに、刺繡絵作りは大変な興味深く、自らを奮い立たせるものであると実感しました。 新たな技術を学ぶために、通販サイトを通してロシア語や英語、ドイツ語の本の注文も始めました。 「ロシア語やドイツ語は理解できませんが、注文した本には写真がたくさん載っています。 」「私がリボンの刺繡絵を使いこなせるようになってからは、独自の方法で作品作りを始めました。」 とリン氏は語ります。 生き生きとした花々を表現するために、針を使って綿やビーズ、糸をリボンと組み合わせます。秋の果実や花々の場合は、瑞々さの要素として、リボンの中に綿を詰め込んで小さなイチゴを作り上げます。 「柔らかなリボンとその光沢のある色が、花を刺繡するのに最適なのです。私はお花が大好きです。風景や動物を刺繡しようとは思いましたが、花を刺繡するときが一番楽しいですね。その絵をみると、花が震えて、その香りが空中に漂っているように感じます。」 リン氏によると、リボンを刺繡する方法はたくさんあると言われ、例えば、バラのリボンを作る4つの基本的なテクニックがあります。基本を守る一方で、彼女は、常に創造的に考えながら刺繡に挑戦しています。 彼女は題材を海外から購入して、それをキャンバスや紙に刺繡します。 同じものを作ることは決してなく、作品ごとに、新たな発見や色調の適切さや刺繡技法の学びがあります。 最も小さい作品は40cm×50cmで、大きな作品は1.1m×1.9mもありました。 小さなものを完成させるのに、1日2時間の作業で、約1か月かかります。 作品が完成すると、天候の変動で傷まないように、ガラスフレームで保護します。 海外に送られる場合は、保護の必要ではありません。「ガラスが無ければ、作品がより生きているように感じます。」と彼女は語ります。 小さなリボン絵の販売業は、彼女と他の愛好家を結びつけるきっかけとなり、 ハノイ市で花屋を営むマイ・リー氏を含む、全ての常連客と友人関係を結ぶことができました。 Ly氏によると、今年の3月に、ベトナム女性博物館で開催された展示会に並んでいた、彼女の作品に魅了されたそうです。 「どの作品も、色鮮やかで生き生きとしていました。」「美しいリボンの花が、どれほど美しかったかを表現するのは難しいです。彼女の作品は独創的でした。本当に独創的でした。特に、私の店に飾ったものを眺めると、愉快で心地良い気持ちにしてくれます。世界教師デーの贈り物として、新鮮な花では、すぐに色褪せてしまいますので、私の先生のリボンの花刺繡絵をプレゼントしましたら、大変喜んでいただけました。」とLy氏は語ります。 リー氏にほかにも、実業家の方との出会いもありました。 それは、彼女が初めて作品を公開した際のことでした。張り切ってデビュー作である「春の花」を展示していました。その作品は非売品であり、展示するだけだと彼女は考えていました。 しかし、店員はそのことを知らず、彼女の作品に興味を持った男性に売ってしまいました。 ブースに戻ってきた彼女は、作品を永遠に失ったという喪失感からパニックになりました。 知恵を絞って、周りの参加者に彼について尋ねて回ると、幸運なことに、博物館の職員が彼の連絡先を知っていました。 「作品を返して欲しいと彼に連絡することは、大変恥ずかしく思いました。」 「私の最初の作品は誰にも売るつもりはなかったと説明しました、

ニンビン省ランソン村は、ベトナムでも屈指の刺繍絵で有名な村の1つです。ベトナムは 勿論、海外の消費者からも人気の商品です。 ランソン村は、ベトナム中で知らない者はいないほど有名で、現在は、ユネスコ世界遺産に指定されているチャン・アン複合景観の中に位置しています。約700年前に刺繍絵制作が始まり、当時は王室に献上し、寺院、仏塔、共同住宅の装飾に使用されていました。 1910年、まだフランスの植民地であった頃、ランソン村に住むディン・ゴック・ヘン氏とディン・ゴック・サン氏は、フランス人職人からレースの工芸技術を学んで、その技法を村に持ち帰りました。そして、それは村の第二の工芸品となり、転機をもたらしました。 地方職人のブゥ・タン・ラム氏は、「ランソン村の刺繡絵は、数世代に渡って伝承されています。歴史的な栄枯盛衰を経験しながら、この技術は保たれてきたのです。今日では世界中で知られるようになり、特にヨーロッパや北アジア地域で好評を集めています。」と語ります。 淡い多彩な糸を使用することで、熟練した地方職人は、洗練された美しい刺繡絵の傑作を作り上げています。 ディン・ティ・ラン氏は、先人たちが築き上げた刺繡技術の保護活動に取り組んでいます。 「私の家族3世代にわたって、この保護活動に取り組んできました。現在は、私の子供たちが担当しています。活動内容は、表面を滑らかにしながら色の調和を図りながら、シルクの刺繡絵を作るためのもので、古の網目模様や、派手で色彩豊かな糸の使い方などがあります。ジグザグの刺繡絵においても、正しい針の使い方を伝えています。」と同氏は語ります。 ラン氏が有名な刺繡技術者である一方で、ホン・イェン氏はレース模様の分野において注目を浴びています。彼女は、ファッションドレスやシャツ、カバン、靴に刺繡とレースを組み合わせたものを取り入れた人物です。 ランソン村の刺繡絵は、その高品質さとデザインの多様性を武器に、アメリカやドイツ、日本、フランスといった競争市場にニッチな市場を切り開きました。商品としては、刺繡を施すことによって上品に飾られたベッドカバーや枕カバー、カーテン、壁掛け、ハンカチ、着物などがあります。 ランソン村出身のディン・ティ・マイ氏は、ハノイ市ハンガイ通りに、彼女が制作した刺繡絵とレース作品の展示ルームを構えています。 「ベトナムの人々は、レース工芸をフランス人に学びましたが、その技術力とデザイン性は洗練され、独特かつ魅力的なものとなりました。多くの西洋のお客様が、サンプルよりも美しいと称賛してくださいますことを、我々は誇りに思っています。」 ランソン村は現在、9つの刺繡絵の企業と工房を構え、約700世帯の人々が刺繡絵の制作や販売で生計を立てています。その売上高は、一年間で400万ドル近くにものぼります。 他にも、ランソン村は、観光地や刺繡絵を案内するパッケージツアーを提供しています。毎年何百万人もの観光客を魅力する観光地である「タムコック-ビッチドン」の道に沿って、刺繡製品を販売する商店がたくさん並んでいます。観光客には、ベトナムの地方の景観やベトナム女性の美貌、花々が描かれた刺繍絵が特に人気があるようです。

作家の グエン・ファン・コング 氏は、その生涯を古代の刺繍絵保存に捧げ、今日の刺繍絵の熟練職人として脚光を浴びています。  グエン・ファン・コング 氏(45歳)は、タインホア中部州ハウロック地区で誕生しました。彼はハノイ市のトンドゥックタン通りに、伝統的なベトナム建築の店舗を構えます。 「刺繍絵は、通常は女性によって作られるものですが、運命によって、この道に導かれました。」と語りました。彼は刺繍作家の間では名の通った存在で、その独特な作風は、柔らかく魅力的であると評されています。「子供の頃から、たくさんの母親や姉が、戦場や出稼ぎに向かう少年達のために、タオルやシャツに刺繍をする様子を見てきました。その姿に、私はとても感動しました。」と思い浮かべます。彼は、ハノイ工科大学で電気工学を専攻していましたが、刺繍絵に対する情熱は、美術を選考する友人たちに教えを請うほどまでに彼を動かしました。「自分の進むべき道が見え、伝統的な刺繍絵のみが、刺繍絵づくりに挑戦しようという情熱を与えてくれる源でした。」と同氏は語ります。 2008年に彼は制作に取り掛かり、最初の講師は、著名な作家である グエン・カオ・ビン 氏とタイ・バン・ボン氏でした。長い間制作に指先が固くなるほど没頭し、刺繍作家として大成した際に、同氏は悲しい事実に気が付きました。彼は、クアットドン(ハノイ市)、スアンネオ(ハイズオン市)、フンイェン(ニンビン市)そして、ミンラン(タイビン市)といった伝統的な刺繍村を、さらなら技術獲得のために訪れました。そこで彼は、多くの作家たちが刺繍絵づくりを辞めてしまったことを知りました。「多くの作家たちが情熱を失っていました。私は失望し、不安になりましたが、この伝統工芸をベトナム独自の美しさをもって復活させようと決心したのです。」 「ここ数年にわたって、多くの人々が輸入品の刺繡絵を好むようになりました。結果として、ベトナム伝統の刺繡絵の現状は芳しくありません。」 「いまだに、ベトナム刺繡絵は多くの人々から好まれているのですが、それらを保存するための知識や対策を我々は知らないのです。そういったことから、我々の祖先たちが築いてきた作品の魅力を呼び起こすため、私は伝統的なモチーフを利用しています。」 とcon氏は語ります。 ベトナム刺繡絵の歴史は、封建時代まで遡ります。当時は、じゃが芋、藍色や多種の葉を染料として利用していましたので、色鮮やかな作品が生まれました。「長年にわたって一盛一衰を繰り返しましたが、最終的に大変な美的価値を有するに至りました。」と同氏は語ります。 生徒達に作り方を説明した後に、彼は、本当のベトナム刺繡絵の歴史と技術的特徴について解説しました。その結果、彼らはベトナムに対してより好意的になり、縫い目の一つ一つに対してこの親愛の意を込めるようになりました。これまでに、彼は約80名の技術者に対して高度な刺繡技法を伝えています。 しかし、「愛情や情熱だけでは、不十分です。」と同氏は語ります。 「厳格な基準に則った伝統技法に用いられる原料についての理解も深めるべきなのです。これは、特殊な糸が編み込まれている伝統的な絹織物に近いものを使用したものです。その糸を編み込む手法はプロの刺繡作家にとって非常に重要なものでした。」 「多くの初心者はこれを知らず、そして彼らの作品は粗雑なものとみなされるのです。特に、伝統技法に従う際は、上下左右、表裏に刺繡をする必要があります。ですから、もしあなたが伝統技法はシンプルであるとお思いなら、それは間違いです。」と同氏は語ります。 現在、コング氏はハノイ市や周辺の州のいくつかの村に10つの工房を構え、400人の従業員を雇用しています。また彼は、絵画の愛好家でもあるので、彼が作る作品のサンプルには、平和な人里、バンヤンの木、田舎の共同住宅といったベトナムの景観が常に見られます。 彼と生徒たちが作った幾千もの作品の多くは、海外の顧客によって購入され、主要なホテルや美術館の展示会や絵画の展覧会にて飾られて、ベトナム国やベトナム人のイメージ向上の手助けとなっています。 コング氏は、両面に刺繡が施されるモデルの復旧に力を注いでいます。 「これは吊り下げられるものではなく、展示されるべきものです。ですから、両面とも精密で柔らかな輪郭が見えます。白地の部分は薄く、裏側のシルクが浮き上がって見えます。 これこそが、ベトナム刺繡絵の真髄であり発展型なのです。ほかの国には、真似のできない独自の存在であります。」と同氏は語ります。刺繡絵を極めたものだけが、この様な作品を作ることができます。なぜなら、針のように細い逸脱の道と作品を壊しかねない非常識性が必要だからです。完成までに長い時間がかるからこそ、 それぞれ300~500万ドンから1億ドンと高い価値が付くのです。しかし同氏はお金がすべてではないと言っています。 「私は、殆ど失ってしまった刺繡作品の保存を手助けできることを願っています。さらに、いつの日か、学校で刺繡絵を学べるようになって、生徒たちの忍耐力の養成と子の祖先たちの偉業への理解が深まることを望んでいます。」同氏は語ります。